レポーター沖縄の歴史・文化
10/9 沖縄戦の証言を、映像で記録

沖縄戦の証言を、映像で記録する。
豊見城市教育委員会
戦争体験等映像化事業
市と映像製作 海燕社さんとタッグを組んで
インタビュアーを務めさせて頂きました。
集めた証言映像は、
市内の子どもたちの教材として
学校や図書館などに配布されます。
とても意義深い事業に携ることができ感謝します。
これまでにラジオやテレビで600人近くの
戦争体験者を取材してきましたが、
今回の聞き取りでは
「戦争に向かう国の空気」についても
多くのことを知ることが出来ました。
豊見城市平良の男性(79)
初めて死人を見たのは、1944年の「十十空襲」の前。日本兵にレイプされ自殺した 近くに住む15、6歳の少女が運ばれていく様子だった。恐ろしかった。
米軍上陸後
目の前で、祖父が撃たれ、2歳の妹が餓死し、幼なじみ一家の集団自決があった。米兵に見つかったときは捕虜になるぐらいならと、母親に帯紐で首を絞められ殺されそうになった。
南部避難での地獄絵のような光景。
膨れ上がった死体の上を歩いた。米兵に暴行され上半身裸で逃げる女性、息絶え絶えに「水を下さい」と懇願する日本兵、死んだ母親のそばにいた赤子、収容所で出会った小さな孤児もいたが、みんな助けることが出来なかった。
今でも、いくさを思い出さない日はない。
眠れず、体調が悪くなる季節や夜がある。
この悲しみは、決して癒えることがない。
:
私は、エンジニアとして
県外や海外での生活が長かったので
いかに沖縄が戦後も差別され虐げられてきたか
外からはよく見えた。
戦争というものは、大きな石が坂を転がるようにいったん転がれば底につくまで止められない。
国民の無関心がそうさせる。
あり得ないヘイトやデマが平然と飛び交うようになる。
今、まさに戦前のような空気そっくりだ。
辛すぎてこれまで家族にさえ戦争体験を話して来なかったが、私で最後の世代。危機感から書いて残すことを始めた。
時おり、声を詰まらせ目を真っ赤にされながらも
静かに、力のある言葉で
長い時間をかけて証言して下さいました。
あなたの言葉をしっかり引き継いでいきます。
ご協力頂き、心からありがとうございました。

嘉数さん、ありがとうございました。